2008年1月10日 (木)

それから~フク

じいちゃんがグループホームへ入るという話がでたとき、
フクの里親を本格的にさがすこととなりました。

妹が地元の新聞に
“犬あげます”という一行お知らせを掲載しました。
そのお知らせをみて、何人か電話をくれたそうですが、
「いま10歳なんです」というと、
「子犬じゃないのかぁ~」と断られてしまったそうです。
確かに、“犬あげます”とあったら、子犬だと思うだろうな。
フクはもうおばあちゃん犬、もらい手を見つけるのは思った以上に難航しました。

ところがある日、
おじいちゃん風の人から電話がありました。
10歳だと告げると、やはり驚いていたそうですが、傍らにいるおばあちゃん風の人と相談する声が聞こえた後、
「一応見にいってみてもいいかい?」と見に来てくれることになりました。

その老夫婦は、フクをひと目見て、とても気に入ってくれました。
おばあちゃん犬のフクを「かわいい、かわいい」といってもらってくれました。

フクは新しい飼い主のもとでの新しい生活がはじまりました。
大食いフク、元気かな。


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それから~じいちゃん

おととしの10月、母が亡くなってから、
じいちゃんはフクとの1人1匹の生活になりました。
母が入院している間も、ヘルパーさんが入りながらじいちゃんは独り暮らしをしていたのですが、
実家のあたりは雪深いところなので、冬の独り暮らしは心配。
でもヘルパーさんが毎日入り、ご飯やお風呂を用意してくれることになったので、
ほっとひと安心。

ところが!
毎日のはずのヘルパーさんが、週3~4日ぐらいに回数が減ってしまったのです。
理由は、じいちゃんのひとこと。
「たまには朝寝坊したいから、毎日ヘルパーさんに起こされるのはなぁ」。

そんな感じでヘルパーさんをからかいながら、
ひと冬、がんばって越したじいちゃんでしたが、
やっぱり独り暮らしは大変だということになりました。
そんな折り、近くの温泉場に新しくグループホームができるという話が舞い込みました。
妹がじいちゃんを連れてグループホームを見学に行きました。
温泉場なので、ホームの近くの温泉ホテルの大浴場に自由に入れるらしく、
じいちゃんはとても気に入ったようです。

じいちゃんのグループホームでの新しい生活が始まりました。
グループホームで生活するようになってしばらく経ってから、
じいちゃんが遊覧船に乗っているところを、近所の人が目撃したそうです。
後日、私がじいちゃんに会ったときに、
「遊覧船に乗ったんだってね。誰と行ったの?」と尋ねると
「施設長さんとだぁ」とじいちゃん。
「遊覧船に乗せてくれるなんて、いいねぇ!」と私が話したら、
じいちゃんは、
「施設長さんが一日中暇そうにしてるから、じいちゃんが外に連れ出してやったんだぁ」
と答えました。

じいちゃんは、あいかわらずです。


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それから~私

一年ぶりの更新です。
ずっとこのブログのことを気にかけながらも、なかなか書くことができませんでした。
近況についてまとめたいと思います。

まず、「私」のこと。
母が亡くなって百日が経ち、お寺への挨拶もして、これで母の法事は終わったなぁと思っていたら、
なんと妊娠していることがわかりました。
そしてお腹がどんどんふくらみ、昨年の9月に元気な女の子が生まれました。
今は、赤ちゃんとのエキサイティングな毎日を過ごしています。

最近は、首がだいぶしっかりしてきて、
私たちがご飯を食べていると、ぐるんぐるんと首を動かしながら
じーっと様子を見ています。
食べるのが好きな子になりそうです。


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2006年12月 7日 (木)

涙の音楽

父が亡くなってから、
テレビや街角で「涙そうそう」が流れると、
だーっと涙があふれ出ることがありました。
笑顔が印象的だった父の面影と、その曲の歌詞とがぴったりだったのです。
それが3年経ち、母が倒れた頃、
気づけば、その曲を聴いても、涙はまったくでなくなっていました。

そして母が亡くなった今、
またもや、だーっと涙がでる音楽が現れました。
aikoの「瞳」という曲です。↓参考までに歌詞はこちら
http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/27083/Y034880

この曲は、生まれたばかりの赤ん坊にささげる母親の歌。
aikoが友達の出産祝いに作ったそうです。
この曲の一番で「あたしがそばにいる…」から
二番で「愛する人がそばにいる…」になっているところとか、
もうだめです~

音楽って不思議なもので、
自分が似た体験をしたときに、突然響いたりするんですね。
こうして自分の内側から、
音楽という外側へ悲しみを投影させていくことで、
少しずつ癒されていくんだろうなと思います。
だから、音楽で泣くというのも大事なことです。

今、父の涙の音楽「涙そうそう」を聴くと、
涙のかわりに、なんともいえない温かな気持ちに満たされます。
音楽っていいものですね。

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2006年11月26日 (日)

当選!米沢牛!!

昨日、実家に届いた妹宛の小包。
中には超高級しもふりの米沢牛ステーキが入っていました。
母の祭壇の前で、包みを開け、母に報告します。
「今日のお膳はステーキだよ~」
本当は四足の動物をお膳にあげてはいけないそうなのですが、
今日は特別OKです。

話はさかのぼること、2週間前。
今月末にとりおこなう母の法事の引き出物を探しに、
近所のギフトプラザへでかけたときのことです。
ちょうど改装キャンペーンの最終日。
母の知り合いだった店員さんに福引券をもらい、
妹が福引をすることになりました。
「私クジ運ないから・・」という妹に、
くじ引き係のおじちゃんたちは、
「若いおねえちゃんだ。ほらこれが当たりくじだよ。コレをここに入れるからね」といって、
抽選ボックスの穴の真下に当たりくじを入れてくれました。
そして引き当てたのが、米沢牛ステーキだったのです。

母が亡くなる一か月前、母の誕生日に用意したのも、
米沢牛でした。
そのとき母は、米沢牛をものすごく味わって食べていました。
それが、母の納骨の直前に、またもや米沢牛が届くなんて・・・!
すごい偶然!母のラッキーパワー★

焼き立てを母の祭壇に供えます。
じいちゃんはあまりのおいしさに、「もういつ死んでもいいなぁ。飲み込むのがもったいねぇ」と満面の笑み。
いつもクールな妹は、「私いま、自然に“余は満足じゃ”って言いそうになっちゃった~。私そういうキャラじゃないのに~」とうれしそう。
ちなみに“余は満足じゃ”というのは、母がおいしいものを食べたときに言う口ぐせ。
みんなで、あはは、うふふと楽しい食卓となりました。

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2006年11月 8日 (水)

母のミュージアムを作ろう

母の供養のため、お線香をあげに向かいのおばちゃんやおじちゃん、
村親戚のおばあちゃんが毎日のように来てくれます。

そんな村の人たちに見てもらうために、
母の祭壇のある部屋の一角を、
母の小さなミュージアムスペースにしました。

母が闘病の最初の頃に書いていた日記、
旅行の時の写真、
母が好きだったパペットマペットの牛くんとカエルくん人形を並べました。

そして、2階の父の部屋にずっと置いてあった父の遺品も並べることにしました。
父の蔵書が並んだ本棚には、
「はじめての海釣り」
「やさしい草木の育て方」
「カメラ初心者入門」
など、これまでの父の趣味に関する実用書がずらり。
さらに父の会社員時代の制服、農作業の時にいつも来ていた普段着も壁にかけます。

これからも、少しずつ荷物を整理していきながら、
展示するものを増やしていく予定です。
母の洋服や、
そば打ち道具や釣り道具、会社のつきあいではじめたゴルフセットなど父の趣味も並べて、
父母の友人や近所の人で、
欲しい人、使ってくれる人がいたら、お譲りしていこうと思っています。

このミュージアム作りで思わぬいいことがありました。
娘である母が亡くなって、しょんぼりしていたじいちゃんでしたが、
そんなじいちゃんに新たな趣味が生まれたのです。
ある日じいちゃんが、父の蔵書のある本棚の前に座り込んでいました。
のぞいてみると、父の大好きだった「忠臣蔵」に関する本を読みふけっていました。
それからというもの、なにやら地図で忠臣蔵ゆかりの場所を調べたりするようになって、
しゃべる内容も少し幅がでてきました。

母を棺に入れるとき、
「これがオレの娘なんだー」と悲しそうに言っていたじいちゃん。
そんなじいちゃんの元気が出るようなミュージアムになってくれれば、
と思ったのでした。

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2006年11月 3日 (金)

ご報告


10日前の10月25日、午前5時21分
母は静かに、静かに息を引き取りました。

いろいろバタバタしていて、報告が遅くなりました。ごめんなさい。
これまでこのブログを通して、たくさんの人に元気をもらいました。
本当にありがとうございます。

・・・でも、このブログはまだ続きます。
母が亡くなる前のことでも、まだ書きたいことがあるし、
なんといっても母が亡くなったとはいえ、
毎日毎日、母のことでやることがいーっぱいあり、
その存在感たるや、すごいものです。

今日も祭壇でほほえむ、母のとっておきの写真は、
「おい、しっかりせんかい!
ちゃんとお膳をあげなさい。
線香は真ん中に立てないと危ないだろー。」
と私たちにやさしく(?)語りかけています。

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2006年10月19日 (木)

鎮静剤で眠る母

坐薬が効いている間は、母はすやすやと眠っていますが、
坐薬が切れると、歯軋りをして、苦しそうな表情になり、呼吸が乱れるという
状態になってしまいました。

鎮静剤を使ってもいいですか?と看護師さんに言われました。
鎮静剤の使用に関しては、先生の余命宣告があったあたりに
一度説明を受けていました。
そのときはケイレン発作が頻発していて、それが引き金になって
最悪の事態も起こりうるから、予防のために、という説明でした。

鎮静剤を使うと、深い眠りに入るので、ケイレン発作を予防することはできるけれど、
口から食べ物を食べたり、応答したり、反応しない場合があると説明を受けました。
そのときの母は、ごはんは食べていたし、話もできたので、
すぐに使うのではなく、ケイレンの様子をもうしばらくみてほしい、とお願いしました。

それから、ケイレンも小さなものが一日に1~2度程度になり、
この3か月は、ごはんや果物もたくさん食べていたので、
鎮静剤をすぐに使わなくてよかった・・と思いました。

しかし、今回は呼吸の乱れがひどく、
ここ一週間、起きている間がとても辛そうだったこともあり、
鎮静剤を使用することになりました。

鎮静剤は「10%フェノバール」というもので、
皮下注射をして、小さな管から24時間少しずつ薬を体内に注入しているようです。

母は今、その薬でこんこんと眠っています。
たまに眠りの浅い時は、まぶたがごろごろとして、耳が聴こえている感じなので、
いろいろ話しかけてみます。
「フクがアイドル人生を歩みはじめたよ」といった時も、
「ぶぶー」っと寝息のような笑い声のような咳き込んだような反応があったので、
何か面白い話がないか、一生懸命考えているところです。

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妹からの電話

おととい、真夜中に妹から電話がありました。
母が入院してから、妹から電話が来る度に、
「何かあったんじゃ・・!?」とあわてて電話に出るものの、
「“珍味”って英語でなんていうの~?」などというのんきな内容ばかりだったので、
今回ものんきに電話に出ました。

妹は、
「今お母さんの容態があんまりよくないんだけど、
予定より早くこれるかい?」というような電話でした。
私は、「わかった。明日いくよ」といい、
母の耳元に携帯を持っていってもらって、
母にいろいろ呼びかけて電話を切りました。

しかし、それどころではない状態だったらしく、
あわてた母の受け持ち看護師さんから、
「呼吸が止まりそうになったりするので、すぐ来てください」と連絡がありました。

!!とびっくりして、
相方は翌日片付ける予定だった仕事を急いでやりはじめました。
私は出かける荷物をまとめはじめました。
自宅から病院までは、夜通し車で走っても着くのは朝になります。

あわあわと用意をしているうちに、
妹から
「坐薬が効いて、呼吸は安定して、今眠っているよ」とメール。
仕事やら用意やらで出発するころには、もう夜中の3時でしたが、
「今から行くよ」とメールをすると、
「事故らないように、とにかくゆっくりきてね」と妹からの返事。

途中で仮眠をとりながら、病院へ着くと、
母はくぅくぅとよく眠っていたので、ほっと安心しました。

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2006年10月11日 (水)

私の耳日記 その2

昨日は忙しかったので、
昨日の続きを今日書きます。

そして無事旅から帰ってきて、ほっとしたのもつかの間。
自宅で寝ていたら、夜中にモウレツに歯が痛くなったのです。
奥歯の奥、左耳に近いところが痛くなったので、
これはもしや耳のせいでは・・?と思い、
近所の耳鼻科へ行くことにしました。

その耳鼻科はインターネットのタウンページで適当に選んだ病院でした。
待合室は、まったく患者さんがいません。
これまで、東北のどの病院もたくさんの患者さんがいたのに、
これはやばそうだ・・と思いましたが、
逃げるまもなく、名前を呼ばれてしまいました。

看護師さんがいろいろ耳の検査をしてくれます。
やっぱり聴力や鼓膜の圧力(?)が弱くなっているそうです。
そして、お医者さんの登場。
目のギロギロとした、ちょっと風変わりなおじさん先生でした。
そのギロギロ先生は、
「耳を見せてみなさい」と厳しい口調でいい、
ものすごく乱暴に耳をひっぱり、薬を塗りました。
そして私がこれまで東北各地の耳鼻科でもらった薬を見せると、
「こんなに抗生物質を飲んで、何考えてるんだ!
あんたの身体はボロボロだよ」と怒りまくりました。
えー。医者の言うとおりに飲んだのにー。
となんだか腑に落ちなかったのですが、
医者にさからって東北一周旅行をしてきたのも事実なので、
「す、すいません」とあやまりました。

そして、「ちょっと来てみろ」といい、洗面台に私を連れてきて、
「舌を出してみなさい」とギロギロ先生。
べーっと出すと、
「ほら、あんたの舌、色も悪いし、両はじに歯型がついてるだろー。
薬ののみすぎと不摂生でこんなになってるんだー」とまたもや怒りの発言。

そして、ギロギロ先生は、
「一日三食しっかり食べる。早寝早起き。アルコールは飲まない。コーヒーもダメ。
熱すぎず冷たすぎないものを食べる。紅茶や緑茶は薬とケンカするから飲まない」
と忠告し、
「どんぶりいっぱいのぬるま湯に混ぜてゆっくり飲みなさい」と言って、
なにやら漢字がいっぱい書いてある薬を渡しました。

近いという理由で選んだ耳鼻科でしたが、漢方系だったなんて・・
ギロギロ先生の威圧感に負け、
私は1か月ほど、言うとおりに過ごしました。
三食後には、どんぶりいっぱいの薬。
この薬、なんだか微妙なまずさ。
しかもぬるま湯というのが、まずさを助長していました。
ごぶごぶごぶ、は~、ごぶごぶごぶ、は~
とため息まじりで飲み続けました。

そして、1か月後、ギロギロ先生に会いに行きました。
相変わらず、待合室には誰もいません。
舌をベーっとだすと、健康的な色になり、歯型もなく、ふっくらとしています。
気づけば耳鳴りも治り、聴力も回復しました。
ギロギロ先生は満足げに
「ほら、あんたの身体の機能は正常に回復したんだ。」といい、
「それにしても、よくあんた、また来たね。
たいがい途中でやめちゃうのに」とギロギロ先生。
・・・やっぱりな。どうりで患者がいないと思ったよ・・


今、母がガンになって、あのギロギロ先生のことをたまに思い出します。
西洋医学とか東洋医学とかよくわかりませんが、
あの先生が教えてくれたことは、非常にシンプルなことでした。
「一日三食。早寝早起き。」
一見するとあたりまえのような、加藤茶のようなセリフ。

母は脳と骨に転移のある肺がんのステージ4で、
治療を続けても余命は1年ぐらいと言われました。
セカンドオピニオンで脳と呼吸器のガンの専門病院で意見を聞いても、
有効な治療法を提示してもらうことはできませんでした。
でも母は生きようとしています。
ギロギロ先生流に、身体の根本を回復させることができれば、
何とかなる気がする!
とガッツをいれてみました。

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2006年10月10日 (火)

私の耳日記 その1

今回は私の耳の思い出です。
2年ぐらい前、左耳の鼓膜に穴があいたことがあります。
それも、相方と一緒に東北一周湯治の旅の真っ最中。
青森の津軽半島の先にある小さな村の民宿に宿泊していたときのことでした。

風邪気味だった私は、鼻をチーンと思い切りかんでから寝ました。
すると真夜中に、モウレツに耳が痛くなり目が覚めました。
耳の奥に水がたまっている感じで、それはもう、
ドゴンドゴンという強烈な痛みでした。
3時間ぐらい大騒ぎしていたら、突然耳の奥から水がだら~っと出てきて、
痛みがすっきりとおさまりました。
しかし!左耳が聴こえないのです。
ゴオーッという風の音しかしません。
これは・・大変なことになったぞ!と思いましたが、
睡魔には勝てず、「面倒だから寝ちゃえ」といって寝てしまいました。

陽気なフランス人のおじさんとしゃべる夢を見て目覚める。
こんなときに、なんてのん気な夢なんだ・・と思いつつ、
昨日の現実の悪夢を思い出しました。
なぜか、左耳は聴こえるようになっていました。
しかし、違和感があるし、耳鳴りがするので、
青森市内の耳鼻科へ行くことにしました。

「すぐ自宅に帰りなさい。旅はやめなさい」とお医者さん。
えぇ~せっかくの東北湯治旅なのに~
というわけで、5日分の薬をもらって旅を続けることにしました。
原因は、鼻水を勢いよくかんだときに、
バイキンが耳まで飛んでしまい、炎症を起こしたそうです。

それから私はふだんの旅の絵日記のすみっこに、
「私の耳日記」をつづりながら、
秋田や山形の耳鼻科をさすらいつつ、
旅を満喫したのでした。
真冬の東北、しかも電車旅だったのですが、
なんとかかんとか各地で耳鼻科を見つけては、
お医者さんたちに診てもらいました。

ちなみに耳日記には、
「耳鳴りがする」「むずがゆい」「わたがつまっている」など、
あまり変化のない耳の具合と、耳のイラストが描かれています。

旅のしめくくりは、よりによってウルフルズのライブでした。
ふだんそんなにライブにいくわけではないのですが、
耳の鼓膜がこんなときに、ロックコンサートに行くなんて・・・

それでも、薬局で耳栓を購入し、
左耳に耳栓をつめこんでライブにのぞみました。
耳栓しながら、のりのりの私。
はたから見れば、ウルフルズ好きなのか?嫌いなのか?
どっちなの~っていう感じだったことでしょう。
耳栓をしても、存分にトータスの歌声に感動したのでした。

長くなるので、続きは後ほど。

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2006年10月 9日 (月)

思い出のお漬物

ちょうど一年前、母と妹が、
私と相方の住む相方の実家へ遊びにきました。

その頃、相方の実家の庭には、シソがたわわに実をつけていました。
うちの母はそのシソを使ったお漬物の作り方を
相方の母に伝授していました。
私はぼーっとしていて、すっかり聞いていなかったのですが、
相方の母はしっかりとその作り方を覚えていたようです。

そして今回、母の病院へ行くときに、
相方の母がシソの実やナスなどの材料を庭から採ってきてくれ、
そして相方がお漬物にしてくれました。

ここ最近、母はあまり食事を食べなくなってしまい、
カロリーメイトのジュースなどで栄養を補給している状態でした。

しかし、そのお漬物のことを話すと、母はしっかりと聞いているようで、
タッパーを鼻に近づけると、
さわやかなシソの実の香りを、かいでいました。

そしてなんとおかゆに混ぜてあげたら、ぱくぱくと食べるではないですか!
好物の梨でさえ、あまり食べなくなっていたので、
看護師さんたちも私もびっくりです。
すごい!漬物パワー!
みんなの気持ちが伝わったようです。

ちょうど一年前、みんなで近くの温泉へ行ったとき、
母は「頭がくらくらする」といっていました。
更年期障害だろうなんて、母も私ものん気な性格なので、
頭に腫瘍があるなんて夢にも思いませんでした。

あの時ああしてれば・・なんて言って後悔していては、はじまらない。
シソの実のお漬物が、一年前の温泉旅行で、
ごちそうをたらふく食べたこととか、
おいしいお酒をのんだこととか、
楽しかったことを思い出してくれるきっかけになって、
幸せな気持ちになってくれればと思ったのでした。

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2006年10月 8日 (日)

フク、アイドルになる

先日、じいちゃんの弟にあたる親戚のおじさんが二人お見舞いにきました。
私は母の病院に泊まっていて、
じいちゃんのいる実家へは遠いのでいけないでいましたが、
おじさんたちから、じいちゃんの様子を聞いて安心しました。

おじさんが行ったとき、
じいちゃんはショートステイの初日で、
新入生気分。
そわそわしつつも、おじさんたちといろいろ話をしてリラックスしていたそうです。

フクはもうすでに施設のアイドル犬となっていたそうです。
おじいちゃん、おばあちゃんたちにかわいがられ、
丁重にもてなされていたそうです。

犬が苦手なお年寄りがいたらどうしよう・・と心配だったのですが、
とりあえず一安心。

おじさんの話では、
「フクはあの様子では、家に帰りたがらないかもしれないぞ」
とのこと。
そういえば、実家にいるときも、じいちゃんの老人クラブ仲間のおばあちゃんから
エサをもらって、ほくほくしてたっけな~

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じいちゃんの通所介護

10月から介護保険の更新があり、
じいちゃんは「要支援」から「要介護2」になりました。
つまり1か月で受けられる介護費の援助額が大きく上がり、
これまでよりも介護サービスを受けることができるようになりました。
じいちゃんの息子で、母の弟にあたるおじさんが、
じいちゃんのキーパーソンとなっていろいろ手配してくれました。

じいちゃんの介護度があがったのは、
「軽度の認知症」があると病院から診断を受けたためだと思います。
実の娘である母の病気のことで、不安や心配がつづいているじいちゃんの様子をみていたので、
楽しいことに目を向けたり、いろんな人と話をして刺激のある毎日をおくってほしいと思っていました。

介護認定があがったことにより、
これまでは、週3日ヘルパーさんが来ていたのですが、
今度からは、ヘルパーさんのほかに、デイサービスやショートステイを組み合わせることができるようになり、
これでじいちゃんが毎日誰かと会う機会ができました。

そして、なんと、
じいちゃんのショートステイの日、フクも一緒に連れて行ってくれ、
面倒を見てもらえることになりました。

じいちゃんが施設に通うようになったら、
フクは里親を探すことにしていました。
しかし子犬ではないので、すぐに里親を見つけるのは難しい状況でした。

ありがたいことに、
ショートステイの施設のスタッフの方が犬好きだったこともあり、
とりあえずじいちゃんと一緒にフクは通所できることとなりました。
じいちゃんは新入生の気持ちでワクワクどきどきしているようでしたが、
フクが一緒なら心強いかな~と思いました。

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2006年9月29日 (金)

母とミカン

この前、看護師さんから聞いた話。

お昼ごはんのとき、あまり食欲がなかった母。
看護師さんは、デザートについていたミカンを一房ずつ母に食べさせていたそうです。
ごはんはあまり食べなかった母ですが、ミカンはよく食べていたそうです。
一房ずつあげて、最後の一房。
看護師さんが
「最後の一房ですよ~」というと、
それまで目を閉じていた母が、
突然目をパカ~っと開けて看護師さんを見つめたとか。
ここしばらくは、昼も夜も常に目を閉じているので、
看護師さんはすごくびっくりしたそうです。

「作り話みたいだけど、ほんとなんです」と看護師さん。
わかります。母らしいです。としみじみ納得したのでした。

母が元気だった頃、
一緒にこたつでミカンを食べていたことを思い出しました。
私はものすごく大雑把な性格ですが、なぜかミカンの食べ方だけは丁寧で、
白い筋もきれいにとって、ティッシュの上に一房ずつ並べて、
一個全部むき終わってから食べるのです。
私が丁寧にミカンの筋をとっている側で、
母もミカンを食べていました。
私がまだ一個むき終わらないうちに、母の手元にはミカンの皮が三個ぶん並んでいます。
…すごいスピードだな~と思って顔を上げ、
母がミカンを食べているところをみてみると、
なんと母は、ミカンの皮をむいた後、
一個まるごとをぱかっと二つに分けて、
ばくりと一口、ばくりともう一口。
つまり一個のミカンを二口でたいらげていたのです。
母も私もB型・・血液型でははかり知れない、母の大胆なミカンの食べ方に驚きました。

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2006年9月24日 (日)

母、バースデーを迎える

先日、母は57回目のバースデーを迎えました。
私の父は3年前に56歳で亡くなっています。
なので母が57歳を迎えたことは、なんだかとてもうれしかったです。

というわけで、誕生パーティーをすることにしました。
プレゼントは、妹も私も食べ物!で意見が一致。
今の母の状態で一番楽しめることなので。

妹は、知り合いのツテの焼肉屋さんから、
上等な牛肉を入手しました。
病室の冷蔵庫に入らなかったので、
ナースステーションで預かってもらうことにしたそうです。

発泡スチロールの包みをもって、ナースステーションへ行くと、
看護師さんたちは一斉に
「わーケーキだぁ~」と大歓声。
「いえ、生肉です」と言いそびれた妹は苦笑。

私と相方は、近くのおいしいケーキ屋へ行き、
プリン系を買い揃えました。

看護師さんたちが、病室へ来て「ハッピーバースデー♪」を歌ってくれました。
母の受け持ち看護師さんは、
2か月前に撮った、母がきれいに写っている写真を引きのばして、
額に入れて飾ってくれました。
そして、ラベンダーの香りのする香り袋を母が握っておけるようにプレゼントしてくれました。

病棟のキッチンで、
じゅわーっと牛肉を焼き、母はそれをたいらげます。
そして、次はプリンフルコース。
マンゴープリンをたいらげ、ジャージープリンをたいらげ、
さすがに3個めのお月見プリンで、プリンに飽きたようです。

おなかいっぱい「牛肉」と「プリン」を食べ、
すやすや寝ている母をみて、ほっとしました。
かなり偏った晩餐でしたが、
年に一回ぐらいはいいだろう~

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2006年9月15日 (金)

緩和ケアって大事!

母は最初に倒れたときの検査結果で、
肺に1.5㎝大の原発腫瘍があり、リンパ節にも転移していました。
脳には大小あわせて30か所ぐらい転移性腫瘍がありました。
さらに骨は頭蓋骨、背骨2か所、尾てい骨に転移していました。
そして脊髄からがん細胞が発見されました。

そんな母の病状を診た主治医がよく使っていた言葉が“緩和”です。
“緩和”という言葉の意味を、最初私はわかりませんでした。
一番最初の病院から、「症状を緩和します」と、よく主治医が言っていたし、
放射線治療の誓約書には、「緩和がメイン」と書いてあります。

なんだ緩和するって??治すんじゃないの??

今、母が緩和ケア病棟に入って、しみじみ、一般病棟だけじゃなくて、
“緩和ケア病棟”も必要だな~と思いました。
新聞か何かで、ガンの痛み止めに関して知識のある医者や看護師が少ないということが取り上げられていましたが、
母も「オキシコンチン」という麻薬性の痛み止め薬の副作用に苦しみました。
最初の病院では、いつから服用していたのかわからないけれど、
母は脳の痛みをとるための「オキシコンチン」により、、
幻覚が見えたり、徘徊したり、行動がおかしくなったりしていました。
脳の腫瘍によるものだと、看護師さんから説明を受けていたけど、
サイバーナイフのために別の脳の専門病院に転院して説明すると、
痛み止めの薬の副作用だと言われたりして。

母の「痛い」という訴えがどの程度の痛みなのか、
肉体的なものか、不安からくるものなのか、
痛み止めの薬の使用量など知識もそうですが、
患者の不安をとりのぞくための、
ゆとりのあるケアの大切さを感じました。

今の緩和ケア病棟で母は、
「デュロテップ」という貼り薬タイプの痛み止めを使用しています。
これは、小さな絆創膏大の透明のシールで、尾てい骨の腫瘍による痛みをとるためのものです。
皮膚からじわじわと成分を吸収するので、あまり身体に負担がかからないようです。

実家のあるあたりで緩和ケア病棟がある病院は、
今、母がいる病院だけ。
少なすぎるな~って思います。

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2006年9月14日 (木)

相方はすごい

相方は私が母の看病のため実家に帰るというと一緒に来てくれます。
看護師さんたちはみんな
「ステキな旦那様ですね~」とほめてくれ、
相方には「大変ですね~お疲れではないですか?」と声をかけてくれます。
そんなとき相方は
「夏休みみたいなもんですから」と言って、
ごろんと横になってみせるのです。

私が母のごはんを食べさせていると、
相方はすっと立ってモモをむいてくれます。

買出し隊長だ!と言って、
いろいろ必要なものを買い出してきてくれます。
そして肉屋のコロッケとか新鮮なお刺身とか、
母のテンションがあがるような食材を買い出してきてくれます。

そんな相方は、部屋の模様替えや収納の才があり、
暮らしやすくする工夫の達人なので、
病室もあっという間に居心地のいい空間になっています。

この前は、看護師さんたちの度肝を抜く模様替えをしました。
母の病室には、ロッカーが二つあります。
ロッカーは部室や会社にあるような、縦長のもので、
ハンガーで服がかけられるようになっています。
しかし実際は、パジャマやタオルを個別に収納したいので、
縦長のスペースがかなりムダになっているし、
ごちゃごちゃとまざってしまい、上手にしまえませんでした。

それをずっと気にしていた相方は、
ある日突然そのロッカーを“横にする”ということを思いついたようです。
二つのロッカーを横に積み重ねることで、
ロッカーの上の部分のデッドスペースもなくなり、
上にパソコンや荷物を置けるようになりました。
ロッカーの中も、パジャマ・肌着・タオル・バスタオルと
それぞれ横に並べて収納できるようになり、とっても便利~。

すごいねっ!

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2006年9月13日 (水)

食べものは大切な安定剤

以前、母のケイレン発作が頻発してきたことがあり、
その時に看護師さんから“安定剤”の使用について説明がありました。
その安定剤を使用するとケイレン発作の予防になるそうです。
しかし眠らせてしまうことになるので、応答などを全くしなくなってしまう場合もあるそうです。
肝心のごはんを食べることも難しくなるので、点滴などで栄養を補充することになるとか。

私としては、母がごはんを食べられるうちは、
その安定剤を使用してほしくはないと思っています。
そんな感じのことを看護師さんに伝えました。

最近、母はよく食べます。
昼も夜もごはんの時間以外はほとんど寝ているし、
言葉を発することがないので、
食事の時間は大切なコミュニケーションの時間でもあります。

好物の時やおいしかった時は口をぱかっと開ける。
大嫌いな脳圧を下げるための液体薬イソバイドのリンゴジュース割の時は、
手を握って「フレーフレー」と応援すると、がんばって飲む。
そして、また果物とかお刺身とか大好きな食べ物をうれしそうにほおばる。

食事時間は、服薬や歯磨きも含めると1~2時間かかるし、
それを1日に3度やるので、なかなか大変です。
昔ケーキ屋でバイトしたときに立ち仕事が大変だったことを思い出すぐらい。

それでも、おいしそうに食べている姿をみると
ほっとするので、
食べものは、母にとっても私たちにとっても大切な安定剤になっています。
最近はケイレンも一日1回あるかないかぐらいになったので、
食べ物パワーを実感しています。

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2006年9月12日 (火)

母、生ウニをほおばる

母は入院した当初の2月頃から1か月ぐらい、日記を書いていました。
その日記は抗がん剤がはじまった日まで続いていました。

久しぶりにその日記を見てみると、
こんなことが書いてありました。

   退院したら食べたいもの
    1.生ウニ 2.ホヤ 3.馬刺し

うーん。。。珍味好き~。
確か以前この日記を見たときはまだ2月だったので、
ウニの旬である夏になったら食べさせてあげようって思ったのを思い出しました。
気づけば、夏も終わり。
スーパーに行く度にチェックしてみても、あんまりおいしそうなウニは見かけませんでした。

ところがある日、相方がいい魚を仕入れていると地元でも話題のスーパーへ足を運んでくれて、
すっごくおいしそうなウニを見つけてくれました。

今日はみんなでウニ丼だ~と喜んで、
母に食べさせることに。
しかしなぜか母はウニをほおばると、ぐ~っと寝てしまうのです。
このとろ~んとした食感のせい??

おきるのをまって、また一口。
ぐ~
また一口。
ぐ~

そんなのを繰り返しながら、それでもウニを満喫した母でした。

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