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2006年7月31日 (月)

じいちゃん、母の病室を訪ねる

昨日の夜、母の受け持ち看護師さんから、
じいちゃんを病院に連れてきて母と会わせたほうがいい、というお話がありました。
この前よりもしゃべったりするのが少なく寝ている状態が続いているので、
会うとじいちゃんが悲しむかもしれない、と思い、
私も妹もためらっていました。
しかし看護師さんの方から、
突然の知らせを聞くよりも、
母もわかるうちに会っておいた方が、のちのちのショックがやわらぐかもしれません、
というお話があり、
ちょうど、じいちゃんの兄弟であるおじさんも実家に来ていて、
じいちゃんを励ましてくれるだろうし・・と思い、連れてってみることにしました。

「お母さんに会ったら、じいちゃん泣いちゃうかも」と言っていたじいちゃんでしたが、
今日は午前中から別な病院でじいちゃんの脳検査もあり、
すっかりくたびれたじいちゃんは、母の病室を訪ねるなり、
病室のイスに座ったまま、グースカと眠ってしまいました。
様子を見に来た看護師さんは、
じいちゃんが口をぱっくり開けて爆睡しているので、
すごくびっくりしていました。

母はまた目をつぶっていましたが、耳は聴こえているという感じでした。

目を覚ましたじいちゃんに、
妹が“DAKARA”(ジュース)をあげると、
「うまいっ!養老の瀧を飲んでるようだぁ」と感激し、
「4時からゲートボールの練習があるから、帰らなくちゃ。また来るよぉ」といって病室を後にすることにしました。

じいちゃんは帰りの車の中で
「今日のお母さんは具合が良くなかったのかな?」と私に聞いたので、
ほんとは割と具合が良かった方なんだけど、
「そうだね。いつもはもっと元気そうだよ」といいました。

ドラマのような感動的な再会シーンとはいかず、
結局ほとんど寝ていたじいちゃんと母。
でも、母もじいちゃんも会えてうれしかったのだと思います。

ちなみに、近頃あまり言葉を発しない母ですが、
今日は「おかあさーん」と呼びかけると、
目をつぶったまま、
「なんじゃらほいほーい」と答えました。
うーむ。。。

あと、お昼にコンビニのおそばとパスタを半分ぐらい食べたあと、
「もっと食べる?おそばとパスタどっちいい?」ときいたら、
「どっちもいーやーだー」と言っていました。

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夏毛のフク

久々に実家に帰ってくると、
フクはキャフンキャフンという悲鳴のような歓喜の鳴き声と、
口にその辺の枝を加えて、足踏みをしながら出迎えてくれます。

しかし確かフクはシロと茶色の犬だった気がするけど、
最近はすっかりグレーとこげ茶色の犬になっていました。
す、すまんフク。

そんなフクも夏真っ盛り。
すごい勢いで毛が抜け、ただいま夏毛に変身中です。
そのため、いつもフクのいるあたりは、
ぼわぼわの毛がたまっています。
そして、じいちゃんはそのぼわぼわを身体につけたまま、
家の中をうろうろするので、
家中にぼわぼわの毛が舞っている状態。

さらにじいちゃんは夜になると、
お気に入りの羽毛入りのガウンパジャマを着て、
家の中をうろうろするので、
じいちゃんの歩いた後には、
羽毛がふわふわと浮いています。
妹が見たら怒るかな~

フクも夏毛が生えそろったら、
きっとまた白い犬に戻るはず・・!

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母、病状おちつく

相方の両親が、母の病室へ来てくれました。
一時期ケイレン発作が頻発していた母でしたが、
脳圧を下げるための点滴薬から液体の飲み薬に変えたら
副作用が弱く、だいぶ落ち着いてきたそうです。
すやすやと寝ているようでした。

たまに目をパカーっとあけるので、
その度に相方の母は、母の手をさすりさすりして名前を呼んでくれました。
母の耳はよく聞こえているみたいで、私たちが大勢病室にいることもわかっています。
私たちの会話もちゃんときいている感じ。
前のように母が声を発することはほとんどないけど、
母も楽しんでる感じは伝わりました。

その証拠に相方の両親が帰った後、
そのことを伝えると、一生懸命起き上がろうとしていました。
たぶん、何かいわなくちゃ~とか思ったんでしょうね。

相方は両親を駅まで送った後、
生寿司を買ってきてくれました。
ちょうど夕ごはんの時間なので、母に
「お寿司食べる?」ときくと、
目はつぶったまま
「たーべーるー」と答えます。
そして、イカ、ウニ、ホタテ、イクラ、マグロをたいらげていました。
これには看護師さんもびっくり。
食欲があるのがとてもうれしいです。

「イカ、もう一個食べる?」と母に聞くと、
「たーべーなーい」と答えていました。
きのうの母の言葉は、
「たーべーるー」と「たーべーなーい」でした。

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2006年7月22日 (土)

一喜一憂の一日

昨日は母の病室にまたもや泊まりました。
部屋にマットレスが敷き詰めてあるので、長時間病室にいても疲れません。
たぶん母にとっても疲れない状態なのかなーと思います。

さっそく踊り用CDをかけ、母と踊ります。
相方が「踊りのお兄さん」になり、踊っているところをみせると、
母もだいぶ和んだようです。
手足が冷たくなっていたのですが、踊っているうちに温まってきました。
よかったよかった~

そして翌日、
朝ごはんも、昼ごはんも
ガンに効くレシピ集からいくつか作ってきた手料理もモリモリ食べ、
モモも1こ食べて、なかなか体調もよさそう。
相方の差し入れのケンタッキーも少しつまみました。
昼過ぎには妹が登場。

夕ごはんを食べ終えて、さて薬を飲むというときに、
母の様子がおかしいので、
看護師さんを呼びました。
苦しそうな表情で、右側の唇と目が引きつっています。
私の父が脳梗塞で左半身マヒになったときの状態にとても似ていました。
看護師さんたちは、急いで脳圧を下げる点滴をすると、
だいぶ落ち着いて、ふだんの表情に戻りました。
母は「顔まがってないか?」と聞いていたので、
何か起こったことを感じたようです。

点滴が終わり、
だいぶ落ち着いた様子の母。
手作り梅ジュースをごくりごくりと飲み元気の様子。
今日は妹が泊まるので、安心して実家に帰りました。

一喜一憂した一日でした。

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2006年7月20日 (木)

アホアホ踊り療法

今日は朝から夕方までずっと母の病室にいました。
余命宣告のことは母には話していませんが、
最近の母はなんだか悟りを開いているというか、妙に落ち着いている感じ。
前はもっとわがままをいっていたのに、なんだか静か~にしていて、
自分の身体のことを感じているのかな~という雰囲気です。

静かに流れるモーツァルト、
壁にはひまわりのイラスト、
それらに包まれて安らかに眠る母・・・

えぇ~い!そんな雰囲気、やめやめ~!
と私は急に思い立ちました。
モーツァルトもひまわりのイラストも、先週私が用意したものだけど、
まるでドラマのような闘病風景になってしまっていました。
今回は相方パワーをもらったせいか、
妙に元気になった私は、
“アホアホ踊り療法”を思い立ちました!

「なにそれ?新しい漁法?」と相方につっこまれましたが、
“アホアホ踊り療法”とは、とにかく元気が出る音楽を聴きながら、踊る療法です。
なぜアホアホかというと、アホらしくなって笑ってしまうから。

とりあえず、私のケータイに入っている曲をかけてみます。
倖田來未の「恋のつぼみ」とミヒマルGTの「気分上々↑↑」あたりの
元気のでるナンバーをかけたら、
母の両手をつかんで、あとは一緒に踊るだけ。
寝たままの母は両手を上にされたり、横にされたり、
おさるさんのポーズをとらされたりしています。
最初は「なんの騒ぎ??」といういぶかしげな表情の母でしたが、
あまりの私のくだらない踊りに
「ぶぶーっ」と吹き出していました。
母が思いきり笑っているところをみたのは、久しぶりでした。

「あと1か月」と言われたときは、一体その間をどうやって過ごしたらいいのか、
非常に考えました。
“これまでの人生を語り合おう”というのも、
“母に何か言っておきたいことはないかい?”と聞くのも、
何か違う感じがしました。
この“踊り療法”で、私と踊っている時間は、
少なくとも“死”とか“病気”とか“人生”とか考えずに、
アホアホな時間が流れると思います。
もしかしたら、恐怖や不安をとりのぞく助けになるかもしれない!

今度はDJOZMAやウルフルズあたりのナンバーを用意して、
母も私もテンション上げていきます♪

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母と相方と、川の字で寝る

昨日の夜、母の病室へ到着し、
もう遅いので病室に泊まることにしました。
相方は、初★お泊りです。

母の病室は二人分のマットレスが敷き詰めてありますが、
看護師さんにお願いして、
もう一つマットレスを敷いてもらいました。
母は夕食を食べるため、壁によっかかりながら真ん中にいたので、
「今日は私も相方も泊まって川の字になって寝るからね」
というと母は、
「じゃあ、こんなばあさまが真ん中じゃあな~」とテレながら動こうとしていました。
なんだか妙にうれしそうな母。

夜、母、私、相方で、川の字。
私は右手に母、左手に相方の手を握って眠りました。
これまで私が二人に元気を与えているつもりだったけど、
こうして手を握っていると、二人から元気をもらっていたのだな~ということに
気づきました。
なんてしみじみしていたら、
二人とも寝返りを打ち、手を離す。
おいおい!

翌朝、緩和ケア病棟の先生(主治医とは別)と看護師長さんが回診にきました。
「合宿みたいですね」と看護師長さん。
「きのうは、川の字になって寝たんですよ」と私がいうと、
緩和ケア病棟のおじいちゃん先生が、
「いいですね。私なんて何年も寝ていない・・」と言いました。

そうだよね。私もこんな機会でもなきゃ、母と川の字で寝ることはなかっただろうな~。
家族旅行の時は、旅館で一緒の部屋とかあったけど、
ふだん一緒に寝るなんて、もう何十年もしていなかったな~と思ったのでした。

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2006年7月18日 (火)

じいちゃんの認知症検査

今日は妹がじいちゃんの認知症検査へ行ってくれました。
この3連休、妹は仕事もして、さらに母の病院へ2日ほど泊まり、
さらに実家に帰り、
そこからじいちゃんの認知症検査をしてくれる病院まで行き、
一日がかりで検査をして、
そして今日これから、妹は職場へ帰り、仕事をするそうです。
たぶん妹の今日一日の走行距離は200kmぐらいになるでしょう。
電話の妹の声は、かなりぐったりしていました。
がんばれ。そしてありがとう妹よ。
明日からは私が交代するので、少し休んでね。

さて、じいちゃんの認知症検査で、
今日は心理テストでした。
妹は中に入れなかったのですが、聞こえてきた内容によると、
「今の総理大臣は?」というような質問だったそうです。
30問中23問以上正解なら認知症ではないそうですが、
じいちゃんは19問正解。
しかし、先生の話では、耳が遠いのでちゃんと質問が聞こえていないかもしれない
とのこと。
「なので、あんまりアテにならないみたい・・」と妹。
ナニー!2か月も前から予約していたのに~
今日に限って、じいちゃんは補聴器をしていなかったそう。

問題になったのは、前にブログでも書いた、
じいちゃんの脳みそのホクロ。
これは今まで2000人診てきた先生も初めてということで、
また検査をしなくてはならなくなりました。
動脈硬化によるもので、脳梗塞や認知症を誘発する可能性があるとのこと。
予防のために薬を飲んだ方がいいということでした。
その診察のために、あと最低2回は通院しなくてはならないとのこと。
遠いんです、この病院。そしていつも待たされるの。

専門病院が少ない田舎に住むというのは、
本当に大変。
家族が多ければいいけれど、
病院に行けなくて困っている高齢者はたくさんいるんだろうなと思いました。

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2006年7月16日 (日)

余命宣告とは?

「・・・あと1か月と思ってください。」と、切なそうな顔で話す主治医。

キョトンとした顔の私と妹。

ちょっと前、母の病態が悪化しました。
その時看病していた妹の話によると、目を見開いたまま応答しなくなってしまったそうです。
それが2日ぐらい続いたのですが、
私が訪ねた頃にはいつもの母に戻っていました。
それでも、母の様子をみた主治医の判断によると、
脊髄や髄膜のガン細胞が広がっている可能性が高く、
また尾てい骨に転移していたガンが進行しているかもしれないとのことです。

でも、この暑いのに、差し入れのウナギ弁当にパクついている母を見ていると、
あと1か月とは、とても思えません。

そもそも、余命宣告ってなんなんだ?
なんの意味があるのかしら??

以前母に聞いた話ですが、
私のひいじいちゃんは十二指腸ガンだったそうです。
ある冬の寒い日に、
おなかが痛くなり病院へ行くと、もうガンが広がっていて、
主治医から「あと1か月です。」と言われたそうです。
母や家族はひいじいちゃんに、「盲腸だよ」といって、
ガンであることはナイショにしました。

ひいじいちゃんは「そうか」と言って、
春が来て、いつものようにタネをまき、
夏が来て、作物を大事に育てて、
秋が来て、収穫して家族みんなで食べて、
そして余命宣告から一年たった冬の寒い日、またおなかが痛くなりました。
母は、ひいじいちゃんを病院へ連れて行きました。
すると主治医が変わったので、母が尋ねると、
「あの先生は亡くなりました。」と言われ、
母はびっくりしたそうです。
ひいじいちゃんに「あと1か月」と余命を告げた主治医の方が先になくなってしまったのです。

人の命の長さなんて誰にもわかんないよな~と思ったのと、
ひいじいちゃんは、ガンだとわかってから1年後に亡くなりましたが、
たぶんあと10年寿命が延びていたとしても、
その10年間、毎年春が来たらタネをまいていたんだろ~な~と、
しみじみ思いました。

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