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2006年10月19日 (木)

鎮静剤で眠る母

坐薬が効いている間は、母はすやすやと眠っていますが、
坐薬が切れると、歯軋りをして、苦しそうな表情になり、呼吸が乱れるという
状態になってしまいました。

鎮静剤を使ってもいいですか?と看護師さんに言われました。
鎮静剤の使用に関しては、先生の余命宣告があったあたりに
一度説明を受けていました。
そのときはケイレン発作が頻発していて、それが引き金になって
最悪の事態も起こりうるから、予防のために、という説明でした。

鎮静剤を使うと、深い眠りに入るので、ケイレン発作を予防することはできるけれど、
口から食べ物を食べたり、応答したり、反応しない場合があると説明を受けました。
そのときの母は、ごはんは食べていたし、話もできたので、
すぐに使うのではなく、ケイレンの様子をもうしばらくみてほしい、とお願いしました。

それから、ケイレンも小さなものが一日に1~2度程度になり、
この3か月は、ごはんや果物もたくさん食べていたので、
鎮静剤をすぐに使わなくてよかった・・と思いました。

しかし、今回は呼吸の乱れがひどく、
ここ一週間、起きている間がとても辛そうだったこともあり、
鎮静剤を使用することになりました。

鎮静剤は「10%フェノバール」というもので、
皮下注射をして、小さな管から24時間少しずつ薬を体内に注入しているようです。

母は今、その薬でこんこんと眠っています。
たまに眠りの浅い時は、まぶたがごろごろとして、耳が聴こえている感じなので、
いろいろ話しかけてみます。
「フクがアイドル人生を歩みはじめたよ」といった時も、
「ぶぶー」っと寝息のような笑い声のような咳き込んだような反応があったので、
何か面白い話がないか、一生懸命考えているところです。

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妹からの電話

おととい、真夜中に妹から電話がありました。
母が入院してから、妹から電話が来る度に、
「何かあったんじゃ・・!?」とあわてて電話に出るものの、
「“珍味”って英語でなんていうの~?」などというのんきな内容ばかりだったので、
今回ものんきに電話に出ました。

妹は、
「今お母さんの容態があんまりよくないんだけど、
予定より早くこれるかい?」というような電話でした。
私は、「わかった。明日いくよ」といい、
母の耳元に携帯を持っていってもらって、
母にいろいろ呼びかけて電話を切りました。

しかし、それどころではない状態だったらしく、
あわてた母の受け持ち看護師さんから、
「呼吸が止まりそうになったりするので、すぐ来てください」と連絡がありました。

!!とびっくりして、
相方は翌日片付ける予定だった仕事を急いでやりはじめました。
私は出かける荷物をまとめはじめました。
自宅から病院までは、夜通し車で走っても着くのは朝になります。

あわあわと用意をしているうちに、
妹から
「坐薬が効いて、呼吸は安定して、今眠っているよ」とメール。
仕事やら用意やらで出発するころには、もう夜中の3時でしたが、
「今から行くよ」とメールをすると、
「事故らないように、とにかくゆっくりきてね」と妹からの返事。

途中で仮眠をとりながら、病院へ着くと、
母はくぅくぅとよく眠っていたので、ほっと安心しました。

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2006年10月11日 (水)

私の耳日記 その2

昨日は忙しかったので、
昨日の続きを今日書きます。

そして無事旅から帰ってきて、ほっとしたのもつかの間。
自宅で寝ていたら、夜中にモウレツに歯が痛くなったのです。
奥歯の奥、左耳に近いところが痛くなったので、
これはもしや耳のせいでは・・?と思い、
近所の耳鼻科へ行くことにしました。

その耳鼻科はインターネットのタウンページで適当に選んだ病院でした。
待合室は、まったく患者さんがいません。
これまで、東北のどの病院もたくさんの患者さんがいたのに、
これはやばそうだ・・と思いましたが、
逃げるまもなく、名前を呼ばれてしまいました。

看護師さんがいろいろ耳の検査をしてくれます。
やっぱり聴力や鼓膜の圧力(?)が弱くなっているそうです。
そして、お医者さんの登場。
目のギロギロとした、ちょっと風変わりなおじさん先生でした。
そのギロギロ先生は、
「耳を見せてみなさい」と厳しい口調でいい、
ものすごく乱暴に耳をひっぱり、薬を塗りました。
そして私がこれまで東北各地の耳鼻科でもらった薬を見せると、
「こんなに抗生物質を飲んで、何考えてるんだ!
あんたの身体はボロボロだよ」と怒りまくりました。
えー。医者の言うとおりに飲んだのにー。
となんだか腑に落ちなかったのですが、
医者にさからって東北一周旅行をしてきたのも事実なので、
「す、すいません」とあやまりました。

そして、「ちょっと来てみろ」といい、洗面台に私を連れてきて、
「舌を出してみなさい」とギロギロ先生。
べーっと出すと、
「ほら、あんたの舌、色も悪いし、両はじに歯型がついてるだろー。
薬ののみすぎと不摂生でこんなになってるんだー」とまたもや怒りの発言。

そして、ギロギロ先生は、
「一日三食しっかり食べる。早寝早起き。アルコールは飲まない。コーヒーもダメ。
熱すぎず冷たすぎないものを食べる。紅茶や緑茶は薬とケンカするから飲まない」
と忠告し、
「どんぶりいっぱいのぬるま湯に混ぜてゆっくり飲みなさい」と言って、
なにやら漢字がいっぱい書いてある薬を渡しました。

近いという理由で選んだ耳鼻科でしたが、漢方系だったなんて・・
ギロギロ先生の威圧感に負け、
私は1か月ほど、言うとおりに過ごしました。
三食後には、どんぶりいっぱいの薬。
この薬、なんだか微妙なまずさ。
しかもぬるま湯というのが、まずさを助長していました。
ごぶごぶごぶ、は~、ごぶごぶごぶ、は~
とため息まじりで飲み続けました。

そして、1か月後、ギロギロ先生に会いに行きました。
相変わらず、待合室には誰もいません。
舌をベーっとだすと、健康的な色になり、歯型もなく、ふっくらとしています。
気づけば耳鳴りも治り、聴力も回復しました。
ギロギロ先生は満足げに
「ほら、あんたの身体の機能は正常に回復したんだ。」といい、
「それにしても、よくあんた、また来たね。
たいがい途中でやめちゃうのに」とギロギロ先生。
・・・やっぱりな。どうりで患者がいないと思ったよ・・


今、母がガンになって、あのギロギロ先生のことをたまに思い出します。
西洋医学とか東洋医学とかよくわかりませんが、
あの先生が教えてくれたことは、非常にシンプルなことでした。
「一日三食。早寝早起き。」
一見するとあたりまえのような、加藤茶のようなセリフ。

母は脳と骨に転移のある肺がんのステージ4で、
治療を続けても余命は1年ぐらいと言われました。
セカンドオピニオンで脳と呼吸器のガンの専門病院で意見を聞いても、
有効な治療法を提示してもらうことはできませんでした。
でも母は生きようとしています。
ギロギロ先生流に、身体の根本を回復させることができれば、
何とかなる気がする!
とガッツをいれてみました。

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2006年10月10日 (火)

私の耳日記 その1

今回は私の耳の思い出です。
2年ぐらい前、左耳の鼓膜に穴があいたことがあります。
それも、相方と一緒に東北一周湯治の旅の真っ最中。
青森の津軽半島の先にある小さな村の民宿に宿泊していたときのことでした。

風邪気味だった私は、鼻をチーンと思い切りかんでから寝ました。
すると真夜中に、モウレツに耳が痛くなり目が覚めました。
耳の奥に水がたまっている感じで、それはもう、
ドゴンドゴンという強烈な痛みでした。
3時間ぐらい大騒ぎしていたら、突然耳の奥から水がだら~っと出てきて、
痛みがすっきりとおさまりました。
しかし!左耳が聴こえないのです。
ゴオーッという風の音しかしません。
これは・・大変なことになったぞ!と思いましたが、
睡魔には勝てず、「面倒だから寝ちゃえ」といって寝てしまいました。

陽気なフランス人のおじさんとしゃべる夢を見て目覚める。
こんなときに、なんてのん気な夢なんだ・・と思いつつ、
昨日の現実の悪夢を思い出しました。
なぜか、左耳は聴こえるようになっていました。
しかし、違和感があるし、耳鳴りがするので、
青森市内の耳鼻科へ行くことにしました。

「すぐ自宅に帰りなさい。旅はやめなさい」とお医者さん。
えぇ~せっかくの東北湯治旅なのに~
というわけで、5日分の薬をもらって旅を続けることにしました。
原因は、鼻水を勢いよくかんだときに、
バイキンが耳まで飛んでしまい、炎症を起こしたそうです。

それから私はふだんの旅の絵日記のすみっこに、
「私の耳日記」をつづりながら、
秋田や山形の耳鼻科をさすらいつつ、
旅を満喫したのでした。
真冬の東北、しかも電車旅だったのですが、
なんとかかんとか各地で耳鼻科を見つけては、
お医者さんたちに診てもらいました。

ちなみに耳日記には、
「耳鳴りがする」「むずがゆい」「わたがつまっている」など、
あまり変化のない耳の具合と、耳のイラストが描かれています。

旅のしめくくりは、よりによってウルフルズのライブでした。
ふだんそんなにライブにいくわけではないのですが、
耳の鼓膜がこんなときに、ロックコンサートに行くなんて・・・

それでも、薬局で耳栓を購入し、
左耳に耳栓をつめこんでライブにのぞみました。
耳栓しながら、のりのりの私。
はたから見れば、ウルフルズ好きなのか?嫌いなのか?
どっちなの~っていう感じだったことでしょう。
耳栓をしても、存分にトータスの歌声に感動したのでした。

長くなるので、続きは後ほど。

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2006年10月 9日 (月)

思い出のお漬物

ちょうど一年前、母と妹が、
私と相方の住む相方の実家へ遊びにきました。

その頃、相方の実家の庭には、シソがたわわに実をつけていました。
うちの母はそのシソを使ったお漬物の作り方を
相方の母に伝授していました。
私はぼーっとしていて、すっかり聞いていなかったのですが、
相方の母はしっかりとその作り方を覚えていたようです。

そして今回、母の病院へ行くときに、
相方の母がシソの実やナスなどの材料を庭から採ってきてくれ、
そして相方がお漬物にしてくれました。

ここ最近、母はあまり食事を食べなくなってしまい、
カロリーメイトのジュースなどで栄養を補給している状態でした。

しかし、そのお漬物のことを話すと、母はしっかりと聞いているようで、
タッパーを鼻に近づけると、
さわやかなシソの実の香りを、かいでいました。

そしてなんとおかゆに混ぜてあげたら、ぱくぱくと食べるではないですか!
好物の梨でさえ、あまり食べなくなっていたので、
看護師さんたちも私もびっくりです。
すごい!漬物パワー!
みんなの気持ちが伝わったようです。

ちょうど一年前、みんなで近くの温泉へ行ったとき、
母は「頭がくらくらする」といっていました。
更年期障害だろうなんて、母も私ものん気な性格なので、
頭に腫瘍があるなんて夢にも思いませんでした。

あの時ああしてれば・・なんて言って後悔していては、はじまらない。
シソの実のお漬物が、一年前の温泉旅行で、
ごちそうをたらふく食べたこととか、
おいしいお酒をのんだこととか、
楽しかったことを思い出してくれるきっかけになって、
幸せな気持ちになってくれればと思ったのでした。

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2006年10月 8日 (日)

フク、アイドルになる

先日、じいちゃんの弟にあたる親戚のおじさんが二人お見舞いにきました。
私は母の病院に泊まっていて、
じいちゃんのいる実家へは遠いのでいけないでいましたが、
おじさんたちから、じいちゃんの様子を聞いて安心しました。

おじさんが行ったとき、
じいちゃんはショートステイの初日で、
新入生気分。
そわそわしつつも、おじさんたちといろいろ話をしてリラックスしていたそうです。

フクはもうすでに施設のアイドル犬となっていたそうです。
おじいちゃん、おばあちゃんたちにかわいがられ、
丁重にもてなされていたそうです。

犬が苦手なお年寄りがいたらどうしよう・・と心配だったのですが、
とりあえず一安心。

おじさんの話では、
「フクはあの様子では、家に帰りたがらないかもしれないぞ」
とのこと。
そういえば、実家にいるときも、じいちゃんの老人クラブ仲間のおばあちゃんから
エサをもらって、ほくほくしてたっけな~

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じいちゃんの通所介護

10月から介護保険の更新があり、
じいちゃんは「要支援」から「要介護2」になりました。
つまり1か月で受けられる介護費の援助額が大きく上がり、
これまでよりも介護サービスを受けることができるようになりました。
じいちゃんの息子で、母の弟にあたるおじさんが、
じいちゃんのキーパーソンとなっていろいろ手配してくれました。

じいちゃんの介護度があがったのは、
「軽度の認知症」があると病院から診断を受けたためだと思います。
実の娘である母の病気のことで、不安や心配がつづいているじいちゃんの様子をみていたので、
楽しいことに目を向けたり、いろんな人と話をして刺激のある毎日をおくってほしいと思っていました。

介護認定があがったことにより、
これまでは、週3日ヘルパーさんが来ていたのですが、
今度からは、ヘルパーさんのほかに、デイサービスやショートステイを組み合わせることができるようになり、
これでじいちゃんが毎日誰かと会う機会ができました。

そして、なんと、
じいちゃんのショートステイの日、フクも一緒に連れて行ってくれ、
面倒を見てもらえることになりました。

じいちゃんが施設に通うようになったら、
フクは里親を探すことにしていました。
しかし子犬ではないので、すぐに里親を見つけるのは難しい状況でした。

ありがたいことに、
ショートステイの施設のスタッフの方が犬好きだったこともあり、
とりあえずじいちゃんと一緒にフクは通所できることとなりました。
じいちゃんは新入生の気持ちでワクワクどきどきしているようでしたが、
フクが一緒なら心強いかな~と思いました。

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